May 15, 2015

東京都青ヶ島村を歩く。


 東京の南約360km、周囲9km の火山島。人口166人(2015年5月)の日本で一番小さな地方自治体、東京都青ヶ島村。船もヘリコプターも天候次第、「行けるのか、行けたとして予定どおりに帰ってこれるのか」、天気予報に気を揉みながら二泊三日で出かけてきました。

 羽田空港から八丈島まで飛行機で50分。そこからヘリコプターで20分。・・・のはずが、八丈島に着いた時点でヘリ欠航のお知らせ。そんなに天気悪くないのに。晴れ間ものぞいているのに。

 「空港から底土港までタクシーで急げば、青ヶ島行きの船に間に合うかもしれません。」ということで港までダッシュして、なんとか「あおがしま丸」に滑り込み乗船。

 *   *   *

 八丈島から見ると、青々とした海に浮かぶその様から「青ヶ島」と呼ばれるようになったとか。そんな言われを聞かなくても「青いな」と独りごちた海でした。
 島に近づいてみれば、なぜヘリが欠航したのか納得です。切り立った崖に囲まれた島の上部は雲の中、ヘリポートも厚い雲の中なんですね。



 現在稼働している港はこの三宝港のみ。断崖にトンネルを掘り、その先にコンクリートの桟橋を無理やりくっ付けた体の港です。
 上陸してみればそこは軽自動車の王国。潮風に吹かれて塗装がくすんだ軽自動車で、細く曲がりくねった道を進むと、やがて舗装が途切れ、その先は徒歩。







 きれいな二重カルデラの外輪山の頂、大凸部(おおとんぶ)に出ます。標高423m。360度、全方向水平線。島の中央の丸山は18世紀の噴火時の火口だそうです。


 丸山の山肌から吹き出す蒸気。この蒸気の吹き出し口が「ひんぎゃ」で、この熱を利用して製塩をやってます。地熱を利用した公営サウナもありました。



 夕方にはすっかり雲も晴れ、島で上がった魚と島で作っている焼酎「青酎」をたらふくいただき、夜には宿の表の道に寝転んで美しい星空を眺めて。そのまま寝ちゃいたいくらいだったけど、風邪引かないうちに部屋に戻って就寝。
 (ちなみに、青酎の製造所に税務署の人が酒税の査察に来たのは1990年代に入ってからで、青酎は長らく密造酒と変わらない扱いだったそうですよ。まあ、行きにくい島だし、製造量は少ないし、税収より徴税コストの方が高くつきそうですからねえ。)



 朝飯は7時半と聞いていたのに、6時頃ノックの音が。「雲海が出てるってよ。」
寝ぼけ眼で軽自動車を運転し、都道236号線「青ヶ島本道」を行くこと5分。絶海の火山島に雲海って、絵に描いたような景色です。



 この日、昼前から雲が広がってきたので、その日のうちに船で八丈島に戻ることも考えたけど、明日はヘリは飛ぶだろうと期待し、また仮にヘリが飛ばなくても「あおがしま丸」の臨時運航で帰れるだろうと高をくくって、もう1泊を決心。午後は小雨降る中、三宝港で魚釣りです。魚釣りする人と宿でお知り合いになったので、ご指導賜わることができました。で、夕飯は釣れたメジナを刺身と煮付けにしてもらってご満悦。





 翌朝は晴れて、ヘリコプターも無事運航。往路は船で3時間かかったのに、復路は20分です。

*   *   *

 割と古い時代から人が住み、18世紀「天明の大噴火」で多くの犠牲者を出して一時は無人島になったものの、19世紀初頭に再定住「還住(かんじゅう)」を成し遂げたと言います。海の難所の火山島、断崖絶壁の脆い土地なのに、住めば都か、愛しい故郷だったんでしょうね。

 人々はみんな顔見知り、東京都内とは思えないユルい暮らし。午前7時半の羽田空港発八丈島行きの飛行機に乗れば、ヘリコプターに乗り継いで午前10時前には上陸できる異世界の島、青ヶ島。行ってみる価値ありです。



(追記)
 それにしても、この島の港、連絡船、ヘリパッド、学校、発電所、道路、上下水、役所、警察。たとえ人口166人でも人が住むとなるとこれだけの公共施設が必要になるわけですね。まあ、そのおかげで観光にも行けるんですが。
 調べてみたら、村の予算は毎年10億円程らしい。村民1人当たり約600万円。都内屈指の富裕な区、港区でも区の予算を人口で割ると約70万円なので、青ヶ島村の例外扱いぶりが際立ちます。ちなみに、予算10億円のうち村税収入は3500万円くらい。島の暮らしはみなさまの税金で維持されております。

January 31, 2015

40代ってもっと大人だと思ってた。


新卒社員がすぐ辞めてしまうというのは、いつのころからか手垢のついた話題になってしまいました。「若者はなぜ3年で辞めるのか?」が出版されたのは2006年です。

私事で恐縮ですが、僕は初めて入社した会社に入社後10か月そこらで退職願を出しています。1997年のことです。就職氷河期が就職「超」氷河期と呼ばれ始めたころ。大学や研究室とコネやツテがある就職先を検討せず、さりとてどこかアテがあるわけでもなく、社会に出て働くということへの認識もあやふやで、といってそれ以上研究生活を続ける頭脳も気力も無く、ほとんどなりゆきで入ったのがその会社でした。

「違う。」
生活していくためには避けられないこととはいえ、お給料のためにこんなことをやり続けるというのが「働く」っていうことなの? 幼稚園、小学校から始まって大学院まで、両親をはじめたくさんの人たちに苦労をかけて育てられ、学ぶ機会を与えられてきたのは、結局こんなことをするためだったの?

旅にも出た。
本格的なバックパッカーではなかったけど、何度となく飛行機に乗っては、タイやインドやネパールを歩いてみました。自分探し?だったのかもしれない。旅に出たからといって何か結論が出たり、新しい自分が見つかったりしたわけではないけど、立ち止まって自分とその周りを俯瞰して物思う時間が取れたのはよかったのだと思う。

退職届を出して、いくつかの違う仕事もやってみました。これかな?それともこっちかな? そのとき目の前にあった選択肢の中でもっとも自分らしいもの、納得できそうなものを選び、期限付きの非正規の仕事もやりました。仕事に振り回され、気がつけば体を壊してしまったこともありました。「おまえ、いつ会っても就職活動してるな。」そんな風に言われた時代でした。

そして気付いたら40代。
なんとか自分の食べる分は稼いでます。年齢を重ねて、そうそう簡単に仕事を変われる状況ではなくなったのも確か。なんだかんだ言いながら進路を選び、代わりにいろんな可能性を捨ててきて、選択肢は新入社員の頃よりも少なくなっているのもまた確か。体力も昔のようにはいかないし、親も年を取ったし、この年齢で路頭に迷うようなリスクも取りたくない。

それでも。
今のまま、このままでこのレールに乗っかり続けるのは違うんじゃなかろうか。20代、30代の頃のようにフットワーク軽く仕事を移るようなことはしないし、できないと思うけど、ずっとこのままというのも違う気がするのです。

きっとこれからも足掻き、模索し続けるんだと思います。
スポーツだって、ゴールよりプロセスが楽しい。そりゃ勝てるのなら勝つ方が楽しいし、ゴールには一番にたどり着きたいけど、ゴールに向かって足掻くそのプロセスがスポーツの醍醐味っていうもんでしょう。ただ、いつゴールにたどり着けるのかわからないし、そもそもゴールってなんなのかも漠としているゲームなんですけどね、今僕がやっているのは。

40代ってもっと大人だと思ってました。いや、もっと大人の40代は世の中にたくさんいらっしゃるんでしょう。しかし僕は、「四十にして惑わず」そんな境地とは程遠い40代のリアルです。

*   *   *

ゼロになって、ちゃんともがく。(by 糸井重里)

January 04, 2015

謹賀新年 -2015-


あけましておめでとうございます。

変わらないようで、遷り変わっていく。
見失うことなく、変化を恐れることなく。

2015年が良い年になりますよう!

Everything moves with the times, although they look same.
Not to lose a way, but not to be afraid of changes.

Wish you a very happy new year!

November 06, 2014

アフリカ人と東京お上りさん観光。


アフリカ勤務時代の現地人の同僚が研修目的で来日してまして。

彼はこれまでの人生の40年余りの間、外国と言えば地域大国の南アフリカくらいにしか行ったことないはず。彼の地では一番名声の高い大学を出ているし、日々日本人と仕事しているので、中国と日本の区別がつかないとか、下手すると中国どころかインドまで一緒くたにしているアフリカ人に比べれば余程インテリなんですが、それでも極東の日出づる国の滞在となると一大イベントです。約10日の滞在中、研修の公式日程とは別に3日ほど自由時間が取れるとかで、そのうち1日は私が東京案内してきました。

*   *   *

本人の希望は「スカイツリー」、「百円ショップ」、「DVDプレイヤー買いたい」。

その日は日曜日。朝7時半にホテルに迎えに行って、2000円分チャージしたパスモを渡して地下鉄を乗り継ぎ、まずはスカイツリー。すみだ水族館に寄り(海のない内陸国出身の彼の希望)、ランチはお茶の水のホテルで設定されていた食事会。午後は明治神宮、原宿・竹下通りのダイソー、新宿のビックカメラというツアーになりました。私にとってもスカイツリーは初めて。竹下通り、明治神宮は最後に行ったのはいつだったか思い出せないぐらい昔。アフリカと日本ではDVDのリージョンが違うのに、ビックカメラみたいな真っ当な店ではリージョン・フリーのDVDプレイヤーは売ってないとかの不都合はありながら、日の出から日没まで目一杯の東京観光してきましたよ。

*   *   *

インテリな彼なので、アフリカ人のおっかなびっくり珍道中、とはならなかったんですけど、それでもいろいろ言ってました。

・彼の国では交通手段は乗り合いバスか自家用車。僕も現地では車生活してたので、彼が「今はどんな車に乗ってるの?」と聞いてくるのも分かるんですが、「東京に住んでると車はあんまり要らないんだよ。要るときはレンタカー借りるし。」と答えてもピンとはきてない様子。でも、一日電車と地下鉄で連れ回すと、「これは非常に効率的だ。これだけ多くの人のスムーズな移動をマネージするのは車では無理だ。」とその意味を分かってくれた様子。

・「外国人観光客もいることはいるけど、アフリカ人はほとんど見ない。それより、たくさんの日本人が観光しているのが印象的。国内を観光する習慣があるのがこの賑わいの理由だと思う。」スカイツリーもたくさんの日本人の客で混んでて、それに感心した様子。言われてみれば、彼の国では親戚縁者の地元を訪ねる人はいても、単に観光目的で国内旅行するというのはほとんど聞かなかったな。

・「ビジネスの仕組みがあらゆるところに行き渡っている。お金が動き、物事が効率的に動くような仕組みがある。」これは日本に限ったことではなく、資本主義社会の国ではどこでも見られるとは思うんだけど、彼のアフリカの母国では経済活動に占めるインフォーマル・セクターの割合がとても高くて小商いばっかり、資本を投資した「事業」って感じのビジネスの活動が停滞しているので、かくも一般消費者を相手にしたビジネスが活況なことが新鮮だったようです。「日本経済は停滞が続いてるし、少子高齢化でこれからも楽観できない」と説明しても、東京の雑踏を見ている限りはそんなこと感じにくいしね。

・「どこも非常にきれいだ。」ゴミが散らかっていない、というのもあるのですが、建物や設備がきちんとしてる、たとえ古くてもメンテされていている、というニュアンスです。彼の母国の惨状からすればそうでしょう。信号機でさえ動いてないところが結構あるような街ですから。

彼の母国では経済が停滞しまくっているので、とにかく人が動き、街に活気がある様を見て、改めて経済活性化を促す環境整備、政策の重要性を認識したようでした。あまり国外に出たことはないとはいえ、その辺りの感想やはりインテリのコメントでしたよ。日本をモデルとして母国に移植することは難しいにしても、なんらかのヒントを持ち帰ってこれからのキャリアに役立てて欲しい、そう思いながら見送ってまいりましたとさ。

June 01, 2014

ネットで買わないもの。


 用事を済ませた帰りに、通りがかりにウィンドウを見て入ったショップ。しばらく服を眺めていると、店員さんが声をかけてきた。
 「お客さんが今履いてらっしゃるハーフパンツ、うちのブランドでかなり前に売っていたやつですよね?僕もそれ好きだったんですよ。」

 正直、いつどこで買ったかなんて忘れていたものだったんだけど、そういえばあの時、あのシャツと一緒に買ったのかもしれない。同じブランドのショップにふらっと入ってしまうとは、好みのテイストってあまり変わらないものなんですね。

*   *   *

 ネットでなくてリアル店舗で、それも量販店ではない専門店で買う、ということのプレミアムはこういう体験にあるんだと思う。スペックのはっきりしたものを出来るだけ安く買うならネットがいい。マイナーで見つけるのが難しいものはネットで探して買うのが簡単だ。でも、中にはその商品だけでなく、その商品にまつわる体験も含めた全体にお金を払う商品もある。リアル店舗の空間と体験にはネットにはないプレミアムがある。

 店員が「うちのブランドのかなり前のものですよね。」と話してくれる。ただそれだけなんだけど、そこに物語が広がる。買うのなら、ネットで買うよりもリアル店舗で、それも専門店で買いたいものは、ある。それがネットで買うより少々高くても。

*   *   *

 ・・・という感覚に共感してくれるのは、ある程度より上の世代の人たちなんでしょうね。「若者の◯◯離れ」と言われている「若者」さんたちには通じない感覚のような気もします。

May 01, 2014

ダーク・ツーリズム

 2014年のゴールデンウィークの前半に出かけたのは,タイのカンチャナブリ〜ナムトックの辺り。ミャンマーとの国境に近いところで,クウェー川沿いに熱帯の緑が深いエリア。初めてタイに渡った20年前から「カンチャナブリに行ってみたい」と言っていたような気がしますが,やっと実現です。今回はバンコク在住の友人Tも付き合ってくれるというので心強い。
 あの辺り,旧日本軍がミャンマー,インド方面への補給路を確保するため,ひどい無茶をして鉄道を建設したところです。イギリスはその鉄道の建設には5年を要すると見積もり,その難工事は建設労働者にとっても過酷すぎるとして結局建設を見合わせたのに,旧日本軍はろくな重機も物資の補給もない中,連合国軍の戦争捕虜とアジア地域からの労働者を動員し,鉄橋や切通しの続く400km余りの鉄路建設を強行。わずか20か月足らずで開通させたというのです。

 その代償は悲惨でした。連合国軍の戦争捕虜だけで12000人以上,アジアの労務者も合わせると10万人ともいわれる死者を出したのです。死因は病気,けが,飢え,虐待。イギリス,オーストラリア,オランダなどの人々にとっては,旧日本軍による残虐行為を今に語り継ぐ故地となっています。
 鉄道が実際に使われたのは1943年〜45年。連合国軍による爆撃と日本の降伏で大部分は打ち捨てられたのですが,一部区間は現在もタイの国鉄が走っており,特にカンチャナブリ近くのクウェー川を跨ぐ鉄橋は往時を偲ぶ場所として多くの観光客を集めています。古くは1957年公開の映画「戦場に架ける橋」,最近では2013年公開の映画「The Railway Man」の舞台になった場所としても知られていますしね。

*   *   *

 20年前には「dark tourism」という言葉はなかったと思います。事故や戦争の悲惨な現場を訪れる旅。物見遊山で出かける場所ではなく,不謹慎だと批判を受ける可能性はあるけれど,やはりその現場を訪れてそこで何が行われたのかを噛みしめることは,ひとつの旅の形としてあり得ると思うのです。

 鉄路建設の最大の難所,ヘルファイア・パス。この切通しをほとんど鑿(のみ)と鎚(つち)のみで,ひたすら捕虜たちをこき使って造ったといいます。今でもここで命を落とした連合国軍兵士の遺族たちが花を手向け祈りを捧げに来る場所に,日本国民として訪れることは複雑な心持ちです。
 ここで先人たちがやったことを自分が詫びるのも嘘くさい。といって「戦争は二度と起こしてはいけません」と他人事のように語るのもなんだか違う。70年前,朝から汗だくのこの蒸し暑い森の中で起きたことと,今自分が生きている世界は地続きであり,それはそのまま,受け入れなくてはならないのでしょう。反省だの哀悼だのと言葉にすると白々しく感じられ,ただ自分たちはこの悲惨な歴史の先端に立っていて,この悲惨な歴史を作った先人たちと同じ人間だということを認めるしかない,それだけでした。

*   *   *

 連合軍墓地。アジアの熱帯の森で,20代から40代の若さで命を落とした,いや,殺された人々を忘れないための場所です。
 旧日本軍が鉄道建設中の1942年に建てた慰霊碑も訪れたのですが,自分にはカメラを構えることができませんでした。

*   *   *

 そして日は昇り、日は沈む。

 森の奥,クウェー川に浮かぶ気の利いたロッジで,あるいはバンコクの歓楽街を行き交う人々を眺めながら,Tとたくさんのビールを空けた週末は過ぎていきました。

January 19, 2014

「昭和時代」。


とある美術作品の説明書きに、制作年を「昭和時代」と書いてあったんです。

昭和「時代」ですか。

「平安時代」「江戸時代」「明治時代」という表記に違和感はないです。でも、「昭和時代」という表現には若干のぎこちなさを感じていました。

が、そのぎこちなさは、自分の中で「昭和」が未だに記憶に生々しい最近のこととして息づいていて、「昭和」を過去の歴史とは認識していないことが原因だったようです。

しかし平成も26年。四半世紀を超えてきているわけで。
昭和に起きた事件で、現在も捜査中だったり公判中だったりする案件も減ってきて、多くは歴史上の出来事として語られるようになってきてるし、確かに過去になった。

その美術品の説明書きを書いた人は、「時代」という過ぎ去った時の出来事であることを示唆する単語と「昭和」という単語に不釣り合いを感じることはなかったんでしょうし、それが世間にも受け入れられているってことですよね。


「昭和時代」。昭和も歴史上の時代区分になりました。



January 08, 2014

年賀状の思い出。

あれは小学校3年生、冬休み明けの3学期初日のことだったと思う。

先生がみんなに、年賀状を何枚もらったかな?と教室で聞いたんだ。

「10枚以上もらった人、手を挙げてー。」
運動ができてクラスの人気者のA君や、女の子たち間でリーダー格のBちゃんが手を挙げる。

「じゃあ、9枚!」
「8枚!」
「7枚!」
・・・
「1枚。」

「・・・0枚。」

手を挙げたのはO君だけ。彼はいじめっ子でも、いじめられっ子でもなかった。ただ、クラスの誰とも年賀状を送りっこするほどの関係を持っていない、「ああ、言われてみればそうだ。」という感じの子だった。

手を挙げるO君の横顔を今でも思い出せる。手を挙げる彼の気持ちを考えると、今でも胸が詰まる。僕もO君と普通に話はするものの、放課後に一緒に遊びに行くほどは親しくなかったんだけど。

まだ小さな子どもの時に、あんな残酷なかたちで孤独の味を知った彼は、その後どんな人生を歩んだんだろう。毎年この時期になるとO君のことを思い出し、会って話をしてみたいと思うんだよね。

どうしてる?大久保君。

January 02, 2014

沖縄。



沖縄。

小学校の時分に地元自治体の「少年の船」事業で初めて行ってから何度となく訪れ、2014年の正月も沖縄で迎えました。

沖縄旅行は「ビーチとマリンスポーツ」「琉球」「戦争と慰霊」「熱帯の自然」、いろいろな側面があって飽きることはないですけど、今回の年末年始の沖縄南部滞在はまた別の角度からの沖縄です。

40年近く前に沖縄に移り住んだ親戚を訪ねたのですが、それだけの時間を沖縄で過ごすと立派にうちなーんちゅ(沖縄の人)。現地の暮らしを垣間見ることになりました。

「100才を超えて亡くなった人の葬式、香典返しはヤクルト」「車社会。で、車で30分以上の距離は『遠い!』」「子ども3人は普通。4、5人でも特に驚きはない」、そんな「沖縄あるある」を聞きながら、知人の米軍関係者のエスコートで嘉手納基地内に入りお買い物&ランチ。アメリカに行ったことはないんだけど、基地内は「アメリカ」って感じでしたよ。

*   *   *

私がまだ乳母車に乗せられていた頃に同居していて、私をすごく可愛がってくれていたという親戚のおばちゃんが数年前に他界したんですが、当時アフリカに赴任していた私は葬式に行くことができなかったんです。

そのおばちゃんの遺骨は残波岬からそう遠くない真栄田のサトウキビ畑の中の墓地に納められていました。サンゴの欠片で敷き詰められた近くの小さな入り江で甥、姪を遊ばせながらお墓参り。初めて聞く遠い日の話を聞きながら、手を合わせてきました。

*   *   *

日本、アメリカ、そして琉球。3つのアイデンティティが混ざり合う暮らし。決して楽ではないけれど、おおらかに、マイペースに受け入れる南国の気性。別に沖縄生まれでもないのに、抗しがたい愛着を感じるのです。

夕飯は、地元の人がオススメのアメリカンなレストラン。米兵に混じってオバアもステーキやバーガーを食べに来る土地柄に沖縄を感じながら、暖かな元旦の夜は更けていったのでした。




あけましておめでとうございます。



December 29, 2013

買ってよかった物、ダメだった物ランキング2013。

東京暮らし再開して1年余り。春夏秋冬一巡り。なかなか大変な局面もありましたが、今は穏やかな年の瀬を迎えています。

で、唐突ですが年末なので2013年を振り返って、今年の買った物の中でよかった物、ダメだった物の極めて個人的なランキング発表しとく。

ダメだった物・第3位:電球型蛍光灯












電球が切れてすぐに必要だったのに、LEDタイプはなぜかどこも売り切れ。やむなく買った蛍光灯タイプ。電球が必要なところって、スイッチを入れたらすぐに明るくなってもらわなきゃ困る場所なのに、十分に明るくなるまでに時間がけっこうかかるのがストレスでした。結局、とりあえず白熱電球を買い直してきた。エコじゃない私。


ダメだった物・第2位:カゼインプロテイン












今年は夏に骨折して、秋にジム通いを再開しました。筋トレしたら十分なタンパク質の摂取が必要です。で、トレーニング友だちからオススメされたのがこれ。ホエイプロテインよりコスパいいよーって言うし。
ところが、最初は気付かなかったんだけど、胸や背中に吹き出物ができやすくなったのはどうもこれを摂り始めからな気がする…ん?なんか体臭が変、っていうか臭くなってない?…加齢かと思ったんだけど、摂るのやめたら元に戻ったので、原因はカゼインプロテインだったのはほぼ確実。個人差があるんだと思うけど、俺的にはダメでした。

ダメだった物・第1位:シャープの掃除機(EC-ST20-S)












今年の最悪のお買い物。さすが「プラズマクラスター」とかアヤシイ機能を前面に掲げるメーカーらしいどうしようもない掃除機でした。「エコ機能」とか「直立させると停止」とかの機能がいちいち余計でイライラする。余計な機能はついてるのに、掃除機としての基本機能がおろそか。伸縮可能なハンドルがしっかりと固定されず掃除中にガタガタ伸びたり縮んだりしてイライラ。そして、20㎡くらい掃除しただけで「フィルターお掃除サイン」が出て、フィルターを水洗いしろと言い、水洗いしたら十分に乾かしてから使えと言う。思った時に使えない掃除機。もう二度とシャープの製品は買わないと私が誓うことになった商品です。

*  *  *

続いて、今度は買ったよかった物ランキング。

よかった物・第3位:家事代行サービス(物じゃないけど)











足を骨折して身動き不自由な時に、友だちから提案されたんです。狭いマンションの一室に一人暮らしなのに家事代行サービスとは贅沢じゃないか、とは思ったんだけど、背に腹はかえられぬ。で、頼んでみたらこれは良い!骨折のせいで出来なかった家事作業だけじゃなく、元気な時でも見て見ぬ振りをして放っておいた水回りのお掃除など、ちゃんとやってくれる。それも、独り身の部屋くらいだとたまに来てもらうだけで十分なので、そんなにお金がかかるわけでもないんだね。骨折が治っても、時々頼んでしまってます。


よかった物・第2位:「壁美人」石膏ボード用固定金具

ホッチキスで石膏ボードの壁にフックを取り付けられるという金具。金具を外した後はホッチキスの針の径の穴しか壁に残らないので、穴あとが目立たない。なのに、けっこうな重量物もぶら下げられるという優れもの。賃貸マンションだと壁に穴をあけたら退出するときに原状回復義務がどうの敷金がどうのこうので揉めそうなんですが、これだとほとんど目立たないので壁にフックを付けても(だぶん)大丈夫。この金具を使って壁にフォトフレームを架けましたー。

よかった物・第1位:BOSE SoundLink Air digital music system












栄えある今年の第1位は、AirPlayに対応したBOSEのスピーカー。iPhone、MacBookとワイヤレスでつなぐと音が出るというものです。家にいる時はiPhoneの音がこのスピーカーから出るんですよ。それほどオーディオにこだわりのない自分には十分にいい音で、これを買ってから家で音楽を聞くことが増えました。スピーカーから出ている線は電源ケーブルだけなので、置き場所も自由です。電池でも駆動できるので、必要ならまったく線なしで屋外でも使える(使ってないけど)。気軽にいい音、これは買って正解!


*  *  *

ということで、みなさんの2013年のお買い物はどうでした?

July 21, 2013

不完全な社会。



学生の頃にいじめられた記憶がある。いじめを黙認した記憶もある。思い出すと切なくなるので詳しくは書かない。

それでも思う。いじめはなくならない。いじめを肯定しているわけじゃないけど、いじめが根絶されるなんてことはありえない。

「いじめを根絶しましょう」という掛け声はよい。「いじめをなくしましょう」という活動は必要なのだと思う。それでもいじめは、なくなるはずがない。むしろ、いじめがまったく存在しない社会の方が不気味だ。人間は社会を作って生きる習性のある生き物。そこに生まれる優越感、劣等感、嫉妬や恐怖が、時に理性の壁を越えて、攻撃性をまとって発現することは避けられない。いじめがまったく存在しない社会って、強烈な管理社会か、みんなが麻薬でも常用している社会だろう。

いじめはなくならない。だから、「いじめをなくそう」という試みと同時に、いじめが起きた時にはどうするか、ということを考え続けなくてはならないんだ。

いじめが存在しない理想郷を追い求めるのは結構だけど、いじめが存在することから目を逸らし、起きてしまったいじめをクソミソに糾弾しているだけじゃ、どこの校長先生も「うちの学校にはいじめはありません」と報告するようになるだけだ。

繰り返すけど、いじめを肯定しているわけじゃない。ただ、いじめはなくならない。そして、「いじめをなくそう」という活動と、いじめが起きたときの対応策の検討が、ずっと並存していくんだと思う。

僕らの住む世界は理想郷ではないが、弱肉強食の修羅の国でもない。渡る世間は鬼ばかりではないが、鬼もいることはいる。そのスッキリしない現実を受け止めなくちゃいけないんだろう。それが大人の態度、それが成熟した社会というものじゃないかな。

「傷つけられる人がまったくいない社会を」と言われてもウソ臭い。出来る限りは傷つけられる人を減らし、不幸にも傷つけられてしまった人を救済し続ける、そんな地道な主張の方を僕は支持する。

June 05, 2013

東京でしか暮らせない、というのも残念です。

とあるスーパーマーケットのレジにて、前にいた50才くらいの女性が支払いのことで店員ともめてる。

「1,263円」みたいな端数の代金に対して、1,513円を払って、お釣りを切りのいい金額にしようとしたらしいんだけど、出したお金が間違っててお釣りが切りのいい数字にならなかった模様。

「だから、3円出したんだから、50円をください。」
「お客様、代金は◯◯円で、△△円お預かりしてますので・・・。」
「だから、●●円払ったでしょう!」
「いえ、お預かりしたのは△△円で・・・。」

そのスーパーのキャッシュレジスターは、上のトレーからお預かり金額を入れると下のトレーから自動的にお釣りが出てくるタイプで、店員がお金を数えているわけではない。

店員は2人がかりでその女性をなだめている。

「払ったお金はちゃんと確認してくれないと困るわ!」

女性は店員をなじっている。ほぼ確実に、お金を出し間違えたのは自分なのに。

*   *   *

日本は好き。東京も大好き。すごい街だと思う。

だけど、こういう瞬間に、東京がイヤになる。高度にシステム化され洗練されたサービスが当たり前になって、ちょっとでも不具合になると途端に不寛容な態度を見せる人々。

その裏返しなのか、異常にへりくだり、丁寧すぎて変になった敬語を使う店員。

世界有数の過密な大都市には、それなりのルール、都市生活の知恵が必要なのは分かる。「エスカレーターに乗ったら急ぐ人のために右側を空ける」なんてのは合理的なマナーだと思うしさ。

でも、その高度なシステムに乗っかることに慣れ過ぎている人々の不寛容、キレやすさ、柔軟度のなさが垣間見える時、どうしようもなく残念な気持ちになるんです。

そんな時、日本に比べたら少々不便でも、私が今まで暮らしてきた途上国、日本人目線だと「遅れた国」の暮らしを懐かしく思うんですよね。思った通りにならないことも多くて、それはそれでストレスは溜まるんだけど、物事は人対人で片付けてた。

そのレジにいた女性にそんな途上国暮らしをさせたら、毎日文句ばっかりで血圧上がって早晩日本に送還とかいう結末になりそうですけどね。

*   *   *

高度なシステムは、その裏にそれを支える多くの人々の献身がある。消費者が王様の国は、王様に傅く(かしづく)労働者の犠牲の上に成り立っている。

そして、消費者は、同時に労働者なのに。そこに思いが至らないのはなぜなのだろう。

日本は好き。東京も大好き。でも、そこにどっぷりとハマりすぎて、日本で、東京でしか暮らせない人になることは残念だし怖いことだと、レジでキレる女性を見て改めて思い知ったのでございます。

May 26, 2013

気付く能力。


 その窓からは、駅から出てくる人たちが見えるんですが、通路、窓と物陰の位置関係から、人が一人づつ順番に見えるんです。一人づつ物陰から出てくるように見える。

 面白いもので、グループやカップルの中の一人が見え始めたときは、たとえその相方やグループの他のメンバーがまだその窓から見えていなくても、その人が一人ではないことが瞬時に分かるんですよね。見ず知らずの赤の他人でも、その人がだれかと一緒に歩いているのか一人で歩いているのか、その人だけしか見えていないのに、分かる。

 その人が黙っていても、歩き方、表情、体の向き、そんなこんなでその人がだれかと一緒なのか一人なのか分かる。

 *   *   *

 たった数年の年の差でも、どっちが年上でどっちが年下か、初対面でも分かる。

 どんなに化粧して着飾っていても、男なのが分かる。

 CGで作られたキャラクターは、相当高度なCGでも実写でないことが分かる。

 隠し事をしている人、嘘をついている人、疲れている人、いいことがあった人、精神に異常をきたしている人、体調の悪い人、どこがどうとは説明できないけど、分かる。

 ものすごく精巧なヒューマノイドが作られ始めているけど、やっぱり機械であることは分かるし、まだ自信を持って「不気味の谷」を超えたとは言えないんじゃないかな。

 *   *   *

 人間にとって、他人の様子を気にすることが生存にとってそんなにも大事だったということなんでしょう。種族の仲間たちの様子の微妙な変化に気付けることが、進化の歴史の中で人類の生き残りに有利に働いたに違いない。じゃなきゃ、こんなにも微妙な違いを瞬時に判別する能力なんて説明できないよね。

 *   *   *

 「空気を読む必要がある」「同質化圧力が強い」って、ハイコンテクストな日本社会の息苦しさを批判的に言う人もあり、確かにそれもそうだとは思うんです。でも、他人が発する微妙なサインに気付くという能力が、人が進化の過程で獲得してきた能力であるならば、日本人の「察する」「慮る」っていう特徴は人の進化の最先端なのかもなぁと、その窓から外を眺めながら思ったんです。

(上の写真はダーウィンの彫像@自然史博物館です)

April 07, 2013

ルーツをたどる。

年齢を重ねてくると、「自分とはいったい何者なのか」という疑問が、自分のルーツをたどる動機になったりするものらしい。私の祖父も生前、寺や役所で過去帳を調べていたようだし。

しかし、もっと壮大なルーツをたどれるのがこれ。

The Genographic Project (2.0Beta) by National Geographic

数年前、National GeographicとIBMが、東アフリカで誕生した人類という種がどのように世界中に広がっていったかを調べるプロジェクトをやってました。東アフリカから移動を始めた人類は、いくつもの分岐を経て世界中に散っていったわけですが、その途上で遺伝子に刻まれていった「マーカー」を追跡すれば、東アフリカから始まる人類の壮大な旅「Great Journey」を遡れる。世界中のいろんな民族の遺伝子を集めて、データベースを作って、地域ごとのマーカーを調べ、その発生頻度と地域の関係をマッピングすれば、全世界に人類が拡散していった様子を再現できる。それを実際にやってみようとしていたのが、The Genographic Projectでした。

そして、ある程度のデータベースができたので、今度は希望する人がこのプロジェクトに参加できるようにしたのが、The Genographic Project (Beta2.0)。キットを取り寄せると、綿棒みたいなプラスチックの棒と、それを収める小さい試験管みたいな容器が送られてくるので、その綿棒状のもので頬の内側を擦って容器に入れて送り返すと、2ヶ月くらいで分析の結果がオンラインで見れるようになります。

自分は、東アフリカからどのルートを経て来たグループに近い遺伝子を持っているのか。もちろん祖先たちはグループ間でも混交しているわけだし、一本のルートが示されるわけじゃないですが、大まかなルートやそこを通った時期、自分と近い遺伝子を持つ人々の分布などが分かりますよ。

また、人類が誕生した頃は、現世人類の他に少なくともあと2種の人類、ネアンデルタール人とデニソワ人がまだ生きていてホモ・サピエンスと混血していたので、今の自分の中にどれくらいネアンデルタール由来のゲノムがあるのか、なんていうことも分かる。(ちなみに、世界に拡散せずアフリカにずっと残ったと考えられる黒人のグループにはネアンデルタール由来のゲノムは見つからないらしい。)

たぶん、日本人だったらみんな似たような結果が出るような気もしますが、人類という種の歴史の中で自分が今どこにいるのかを知るのは、ちょっとロマンチックじゃないですか。

ということで、既に50万人以上の遺伝子情報を集めたこのプロジェクトに参加してみましたよ。



私の場合は、日本人よりも中国人、それも中国南部の人々と近い遺伝情報を持っているらしいです。

なお、キットは199.95ドル、キットには固有番号がついていて、その番号で管理されるので、匿名で分析してもらえます。要英語。

March 20, 2013

里帰り。



帰国して都内にアパート借りてから、以前に比べれば格段に帰りやすくなった福岡の実家に、なんだかんだと理由をつけて帰っている。

どこにでもいそうな日本の平凡な一家。

家族や親戚は会社員か公務員ばかり。目立って羽振りがいいのもいないけど、食うに困っている親戚もいない。情熱大陸やソロモン流には縁のなさそうな人たち。医者や弁護士はいないし、自営業や商店主さえいない。

とはいえ、病気を抱えている者や一人暮らしが無理な老人はいて、処分に一悶着しそうなささやかな土地があったりはする。

サラリーマンとしてはそこそこうまくやり、社畜だノマドだ非正規だと穏やかじゃない世界から逃げ切りモードの父。子どもが独立してからは専業主婦で、ときどき狭い庭をいじっている母。

強いて言えば、いい年して独身で海外暮らしなんかしてた自分がちょっと異色だったかもしれないけど、それもブツブツ仕事の文句を言いながら、とりあえず東京にアパート借りたわけだし。

インターネットはつながっているけど、所詮メールかテキストメッセージくらいのもの。モバゲーにハマっている者はいないけど、ネットで買い物することもほとんどないし、たぶんfacebookのアカウントは持ってないか、持ってても腐らせてる。ネットに依存しているのは家族の中ではきっと自分だけ。スマホやパソコンがなくても困らない人たち。

電化製品はハイテクになり、車は低燃費になり、買い物するのはショッピングモールや「道の駅」になったけど、話題はもっぱら子どもや孫のこと。

*   *   *

どこにでもいそうな日本の平凡な一家。

ん?そうなのか。「普通」「平凡」「一般的」?

*   *   *

いずれにしても、時とともに移ろい行くあやういバランスの上の、今。溶けてなくなるあめ玉のよう。その寸暇を味わえる時に大事に味わっておきたくて、帰られる時は実家に帰ろうと思っています。またいつ、海外で暮らすことになるやもしれないしね。

March 02, 2013

春雨じゃ、濡れてまいろう。

3月1日、久しぶりに雨が降りました。

風がないとして(雨が上空から垂直に降ってくるとして)、雨の中ではどのくらいの速さで歩くのが(あるいは走るのが)いいんでしょう。速く走ると体の前面に雨を受けるけど、雨の中にいる時間は短くなる。ゆっくり歩くと、雨の中にいる時間は長くなるけど、雨を受けるのは頭の上と肩の辺りだけになる。

ということで、底面がa×aの正方形、高さがhの角柱が、距離dを速度Vで移動する時、どのくらい雨に濡れるか計算してみた。雨は速度vで上空から垂直に降ってくるとして。

で、途中の計算は置いといて、浴びてしまう雨の量をWとすると、

W=vd(a^2/V+vh)

になるような気がする。あとはExcelでも使って、変数に適当な値を入れて計算してみればいいんだけど、この式を見てるだけで分かる。

走る方が濡れないし、歩く速さVが0の時はWは無限大になる。そりゃそうだ。

February 17, 2013

趣味と本業。

いつの頃からか、ジムに通うのが日課になってます。

時にはかなり真剣にトレーニングして、けっこういい感じの体になってるんじゃない?って時期もあった。ベンチプレスで挙げられる重量も増えてね。

そして、これより上を目指すには今のままの生活だと無理だな、というところまで来たと感じられたことがあります。

筋トレって、挙げられるウェイトの重量とか、体のサイズとか、やったことに対してその成果が割と分かり易く見えるので、「このままではこれ以上は無理」というのが自覚できるんですよね。

食事の内容・タイミング、睡眠、そして当然トレーニングの量・質・タイミング。これらを全部最適化して行かないと、これ以上は伸びないなという地点に至った感があったんです。トレーニングに専念した生活をしないと無理って。

しかし、現実にはそうはいかない。仕事をしていれば、食事やトレーニングが予定どおりにいかないことはよくあるし、友人知人や仕事関係の人と夜に会って飲みに行くこともある。私の場合はさらに、転職や海外出張、海外赴任も多かったので、その度ごとにジム通いは一時中断したり、おろそかになったりで。で、「これ以上は無理」という地点から遠ざかって、また最初からやり直し。

*   *   *

その道で一流と言われるところに到達した人は、きっと他を犠牲にしてでもその何かひとつに専念する決意があったんだろうなと思うのです。そこがアマチュアとプロの境目であり、趣味と本業の違いなんでしょう。

スポーツでも音楽でも芸術でもビジネスの世界でも、他のことを犠牲にしてでもそのとき取り組んでいることにすべてを捧げる選択が出来たかどうかが、プロとアマチュアの分岐点になるのかもしれない。あのときトレーニングを優先する選択をしていれば、今ごろ私はどっかのジムのインストラクターか、パーソナルトレーナーにでもなっていたかもしれない。

といって、すべてを捧げて取り組んでも、世に認められるにはさらに生まれ持った才能や運も欠かせないわけで、だからこそその道のプロ、一流、カリスマと呼ばれるに至る人は数が限られ、凡人とは違う迫力、オーラを醸し出すんでしょうね。

*   *   *

まあでも、そんなにギチギチがんばらなくても、毎日どうしようどうしようって模索しているうちに過ぎて行くのが人生で、その模索する過程を楽しめればいいなって、思ったりもするんですけどね。

January 14, 2013

ビッグローダーと「私」。

物心つくかつかないかの昔に私が欲しかったおもちゃ、その名前までは覚えていなかったのですが、さすが神様、仏様、Google様、商品名が分かりました。
「はたらくじどうしゃビッグローダー」

これだこれ。一台の動力車がコースを走りながら、ポイントポイントで装備を変えてダンプトラック、フォークリフト、ペイローダーに変化し、積載物(プラスチックの玉)をひたすら動かし続ける様子を見て楽しむおもちゃです。子どもながらにこのおもちゃが意外と高価なことは分かっていて、欲しいのに親に買ってくれとはせがまなかったことも思い出します。いじらしいな。

*   *   *

唐突にこのビッグローダーを思い出したのは、平野啓一郎さんの「私とは何か——「個人」から「分人」へ」(講談社現代新書)を読んでいたから。この本で平野氏は、「私」を構成するものとしてそれ以上分割できない「個人」があって、その個人が局面ごとに異なるパーソナリティを演じているという考え方ではなく、局面ごとに違うパーソナリティ=分人=もすべて自分の一部で、その分人の集合体が「私」という存在だろう、という考え方を打ち出してらっしゃる。

少なくとも「それ以上分割できない個人」という考え方は、ただ一人の神と向き合う一人の自分という図式が根底にある西洋世界の産物だろうと。そもそもperson、peronalityって古代ギリシャの演劇で使われた仮面「ペルソナ」が語源だし、本当の自分というのがまずあって、それがその時々にふさわしい仮面を付けているのが「私」の姿だという考え方のルーツは日本にはなかったんじゃないのか。

たしかに、分人の集合体が「私」であると考えると合点がいくことは多い。その辺りの事情が「私とは何か」の本で説明されています。

*   *   *

で、ビッグローダー。ポイントポイントで動力車の上に載る装備が変わってダンプトラックになったり、フォークリフトになったりする様子が、その時々に役割、パーソナリティを変化させる「私」の動きを想起させたのか、急に懐かしく思い出したわけでして。

分人の集合体が「私」だというのはストンと理解できる。しかし、肉体としての「私」はひとつ。生物としての生体機能はひとつ。そしてビッグローダーには動力車がある。システムに動力を与えるものとして必須なもの。ダンプトラックやフォークリフトの装備が「分人」、動力車はそれを支える肉体だったのか。

*   *   *

1977年発売のビッグローダーのコンセプトは、現在も販売されている「きかんしゃトーマスとハロルドのビッグローダー」などに引き継がれているようです。子どももいないのに、うっかり「ショッピングカートに入れる」をクリックしないようにしないと。

January 02, 2013

2013年のサイコロ。


 サイコロを振ると、1が出る確率は1/6の確率です。そういう確率・統計の基礎を初めて学んだは小学校高学年の算数の「場合の数」の章で、「確率」という言葉が出て来るのは中学校の数学でしたっけね。

 しかし、確率をいくら学んでも、当然のことながら私がこれから振るサイコロの出る目がいくつのなるのかを予言することはできないわけで。

*   *   *

 日本経済の停滞を示す統計や推計、日本や世界のマクロ経済の指標、経済だけでなく保健・医療やインフラ等の社会環境についても、愉快とは言えないいろんな数字を目にします。

 が、それらの数字は私やあなたの明日の出来事を直接予言するものではない。サイコロで1が出たのは社会が悪い、政治が悪い、景気が悪いと恨んでも仕方がないのね。「6が出やすい社会を作ろう」というのも大切だけど、まずは自分の持ち駒をフルに活用してゲームを楽しもうよ。

 2013年の年の初め、それが私の抱負らしきもの、かな。本年もどうぞよろしくお願いいたします。